平成30年が明けました。
昭和天皇が崩御し、平成になったときのことを思い出している高木です。
娘が生まれて、静岡の叔母の家に遊びに行っている時でした。
テレビで「元号は平成!」と発表しているのをはっきりと思い出します。
その平成も29年も過ぎてしまった、ああ、時が経つのは早いなあ!なんてちょっと感慨にふけっています。
さて、皆さんお正月はいかがお過ごしでしたか。
私は、食べて寝て、起きて食べて、テレビを観てまた寝て・・・という、実にのんびりした三が日を過ごしました。
もちろん食事の支度はしましたが、帰省した息子と仕事が休みの夫が片付けなどをやってくれたので、かなり助かりました。
頑張って作ったおせち料理です。
まったく豪華ではありませんが、手作りというところに価値があると自画自賛しています。
そんなお正月でしたが、すごく考えさせられたことがありました。
夫の母、義母のことです。
義母は、4年ほど前までは、まったくの健康体。
80歳を過ぎていましたが、1人で農作業をやり切っていました。
そんな義母が2月の雪の日に車にぶつけられて右膝近くを骨折してしまい、4ヶ月の入院を余儀なくされました。
退院時に要介護3という診断がおりたのですが、何とか一人暮らしができていました。
その後、1年ほどで要支援1に変更されるほどに快復して、まだまだ一人で生活できそうだと思った頃に、左足の麻痺が出てきました。
そして手も震えるようになり、段々動くことが大変になってきて筋力も落ちてきました。
病院の診断ではパーキンソンではないかと言われ薬も飲みましたが、いっこうに効かず、別の病院で詳しい検査をしてもらったところ難病だと診断されました。
一人暮らしができなくなり老健に入所しましたが、どんどん病気が進行してしまい、本人の希望で病院に入院しました。
正月には家に連れて帰り、兄夫婦と私たち夫婦とで世話をする計画を立てていました。
しかし、「あんな寒いところへは帰りたくない」という本人の希望で帰宅を取りやめ、病院でお正月を迎えることになりました。
その義母を息子と3人で、31日と2日に見舞いました。
31日には、多分食べる気にはならないだろうとは思いましたが、お節料理を少しずつ詰めたお弁当を持っていきました。
義母は甘いものを食べたいというので、伊達巻きをほんの一口と、上用まんじゅうを半分だけ食べさせてあげました。
入れ歯を取ってしまっているので、噛まなくても食べられるものしか食べようとはしませんでした。
義母は身体は不自由になりましたが、頭ははっきりしています。
入院中であるにもかかわらず、今日が何日であるかもはっきりと分かっています。
「紅白を観たいが、病院では無理やな」と言いました。
入院中の人でも(他に楽しみのない入院中だからこそ)紅白歌合戦を観ることが出来たら良いのに!
7時から8時はシルバータイムとかにして、演歌歌手(特に氷川きよし)をやれば良いのにねえと、夫や息子と話しました。
そんな義母は「認知症になった方がましや」と何度も言いました。
頭がしっかりしているから、自分が今どんな状態で、この先どうなっていくかも分かります。
身体がどんどん動かなくなっていく。。。
そして、動かなくなってもいつ死ぬのかは分からない。。。
いつまで続くか分からないい、寝たきりの生活。
義母の心中を思うと、何とも言えない切なさで、私たちにはかける言葉がありませんでした。
認知症になりたくない!と多くの人が願っています。
けれども、義母のようになったときには、認知症でわけが分からなくなった方が幸せかもと思えることもあるのです。
どちらが良いか?幸せか?というのは、簡単に言えることではありません。
これから皆さんと共に考えていけたらと思っています。
新年早々のブログにしては重い内容でしたが、こんなこともあることを知っていただきたくて、書きました。
今年も「にこにこ」をよろしくお願い申し上げます。