名司会者として有名だった大橋巨泉さんが亡くなったのは

20日ほど前でした。

翌日の中日春秋に載った記事が心に残りました。

 

〈浴衣着て戦争の記憶うするかな〉

この句の意外な読み手は、大橋巨泉さんだ。

小学生の頃から俳句をたしなみ、

巨泉は少年時代に使い始めた俳号。

「アイデアが泉のように湧いてくるように。

泉は大きい方が良い」との思いをこめたという。

俳人ではなくジャズ評論家として世に出、

放送作家や司会者として巨泉の名は知れわたった。

『イレブンPM』『クイズダービー』『世界まるごとHOWマッチ』・・・

その泉はどれほどの人を潤したろうか。

巨泉さんは、ミステリー小説やゲームが嫌いだったそうだ。

そこにある謎もハラハラドキドキも、

しょせん誰かが作ったもの・・・というのが面白くない。

そこには本当の模索がない。

 

そう言いきるほど、根っからの創作者だったのだ。

その原点は、一九四五年八月十五日だという。

昭和九年に生まれ、典型的な軍国少年として育った。

お国のために死ぬのは当然。米英は鬼畜。

そう教え込まれて、信じ込んでいたのに、

みるみる間に価値観が逆転した。

まるで軍服を浴衣に着替えるような、早変わりである。

 

著書『それでも僕は前を向く』〈集英社〉には、

元軍国少年としての重い悔恨が詰まった、こんな言葉がある。

「自分のかけがえのない命を守るということは、
自分の頭で考えるということ。

 

これは、毎日でも肝に銘じておかなければ」

八十二歳で逝った巨泉さんの遺言だろう。

 

 

誰かがやってくれる

言われたことだけやればいい

面倒くさいことは避けて通る

子どもばかりでなく、

大人たちの中にもそんな風潮が増えているように感じます。

 

命を守るのは、自分です。

自分で考えないと、命は守れないということ。

(もちろん、考えていても突然の不幸は有り得ますが)

 

8月は平和や命について考えたいと思います。